足立区綾瀬を歩いていると、前からちょっと気になっていた場所がありました。
それが「池田屋」さんです。
立派な屋敷があり、裏庭のあたりには、保存樹に指定されている大きなけやきの木が何本も立っています。
ブログを始めたこともあり、
「せっかくだから、この池田屋さんについて調べてみよう」
と思い、少し調べてみました。
なんと、ここは新選組と関係のある場所だったんです。
まず、新選組って?ですよね。
新選組といえば、幕末の京都で活躍した集団として有名ですよね。
近藤勇、土方歳三、沖田総司など、歴史の教科書やドラマで名前を聞いたことがある人も多いと思います。
幕末の京都で、京都守護職のもとで治安維持などにあたったのが新選組です。
そんな新選組が、実は足立区綾瀬にもやって来ていました。
僕も今回調べるまで、まさか綾瀬と新選組がつながっているとは知りませんでした。

新選組が足立区綾瀬にいたのは19日間
慶応4年(1868年)。
この時代は、江戸幕府が終わりを迎え、世の中が大きく変わっていた時期です。
そんな中、近藤勇と土方歳三に率いられた新選組の一隊が、現在の足立区綾瀬周辺にあった五兵衛新田にやって来ました。
新選組がここにいたのは、
慶応4年3月13日の夜から4月1日まで。
わずか19日間だそうです。
最初に到着した時の人数は48名。
ところが土方歳三が到着した3月15日には100名を超え、4月1日にはなんと227名にまで増えていたそうです。
227人って、今の感覚で考えてもかなりの人数ですよね。
一つの屋敷だけでは収まりきらず、村の中にある複数の場所に分かれて生活していました。
その中には、現在の綾瀬4丁目にある観音寺や、名主見習だった金子健十郎家などがありました。
村をあげて新選組を支えていた
新選組が滞在している間、魚や野菜、菓子などの食料だけではなく、板や釘、草鞋、茶碗、風呂敷、薪や油など、生活に必要なさまざまな物資が用意されていたそうです。
当時の五兵衛新田の人たちにとっては、新選組を受け入れることが「幕府への奉公」につながると考えられていたようです。
今の綾瀬の街を歩いていると、そんな幕末の出来事があったとはなかなか想像できません。
でも、実際にここで200人を超える新選組の隊士たちが生活していたんですね。

そして、4月1日の夜に……
綾瀬にいた新選組は、4月1日の夜に急きょ移動を始めます。
翌4月2日の朝には、流山に駐屯していたことが確認されています。
千住宿方面への官軍の進出など、情勢が大きく変化していたことが、その背景にあったとされています。
わずか19日間。
でも、その19日間をこの足立区綾瀬で過ごしていたと思うと、なんだか街の見え方が少し変わります。
最初は、
「立派な屋敷だな」
「裏に大きなけやきの木が何本もあるけど、ここは何なんだろう?」
そんな素朴な疑問から始まりました。
それが調べてみると、幕末の新選組の歴史につながっていました。
普段何気なく歩いている道にも、調べてみないと分からない歴史が残っているんですね。
今回の「池田屋」さんについても、街を歩いていて気になったことをきっかけに、少しだけ足立区の昔を知ることができました。
ちなみに、新選組の屯所となった場所として紹介されている**観音寺(綾瀬4-9-6)や名主見習金子健十郎家(綾瀬4-15-21)**には、現在も史跡の案内板が設置されています。
※建物内部の公開や一般対応は行われていないとのことなので、見学の際はご注意ください。
足立区を歩いて、また気になる場所を探してみます
足立区には、まだまだ僕が知らない歴史がたくさんあると思います。
これからも街を歩いていて、
「ここ、なんだろう?」
「なんでこんなものがあるんだろう?」
と思った場所があったら、また調べてみたいと思います。
何気なく歩いているいつもの道も、昔のことを知るとちょっと面白く見えてきます。
このブログでは、そんな「足立区を歩いて見つけたもの」も少しずつ紹介しています。
駅ごとに昔と今を比べる「今昔クイズ」もやっていますので、よかったらそちらもぜひ見ていってください。


